「オオカミはなぜ消えたか―日本人と獣の話」千葉 徳爾 (著)(新人物往来社 1995年5月)

民俗学者が探る日本人と獣の関係

→目次など

日本にはさまざまな獣が住んでいました。多くは今も住んでいます。

猪と鹿(害獣)、熊(山の精の化身、狩猟の対象)、狐やムジナ(狸、穴熊)、カワウソ(オイテケ掘り)、カモシカ(深山に住む)、猿、ヒグマやアザラシやトド(北海道)、ブタやウシ(家畜)、そしてオオカミ。

(西日本では嫌ったサルの猟を、東日本では嫌わなかったそうです。)

こうして暮らし方や地域によって、また相手の動物や時代によって、日本人は異なる観念を持っていました。この本では、オオカミが絶滅した理由を探ることを中心に、これらの動物たちと日本人はどのような関係を築いてきたのか、地域や時代によってどのような違いがあるのかが、民俗学者として聞き取りや古文書の調査を中心として語られています。

時代、地域、動物などが広い範囲を対象としているだけに、次のような多様な観点から読むことができます。

・自然(資源)の保護と人間の経済活動(生業)の関係
・肉食の禁止の背景や影響
・人と動物を厳然と分ける文化と分けない文化
・オオカミ絶滅と先住民の絶滅の類似性
・動物の生態を良く知っている人と知らない人の動物観の違い
・日本における東西の違い
・獣たちから見た人間
・秦氏や諏訪という古代日本の支配者に関する話題
・狩猟者たちの文化
・猪と人間の類似性

オオカミによる人的被害が出ていた時期は、開墾によって人間の活動範囲が広がり、オオカミが子育てをする草地を草刈り場として利用し始めた時期であるそうです。また、熊が人を積極的に襲うかどうかという問いに対して、熊を実地で見たことのない人の多い地域ほど、多くのひとが「そう思う」と答えたという結果が示されており、ここにもピダハンの言う直接経験の原則の重要性を思います。

本書では、キリスト教の影響を受けた欧米の民族が、人間とその他の生物との間に明確な一線を引き、両者の間に生命の交流はなく、他生物は人間より格が低いとしているのに対し、仏教の影響を受けた東・南アジアの諸民族は、人間と他生物の生命の共通性を受け入れている点を踏まえた考察が展開されています。

著者は、このことが裏目に出ると、野獣には人間とは別個の世界があり、人間の世界に立ち入るのは彼等がよくないし、そのために捕えられ、殺されるのは自業自得ではないか。こういう考え方が生まれ、共存共栄の環境を設けようという、いわゆる自然保護の観念は起こって来ないことになると議論を展開しています(258ページ)。

私にとっては納得しにくい議論がときどき含まれておりました。と思ったら、同じく議論に納得できなかった『間引きと水子』と同じ著者であることを知り、納得いたしました。

内容の紹介

そろそろ話を整理しなくてはなるまい。グリムの童話などを聞いて育った、現代の若い人の多くは、北欧の、古くは狩の対象としてのみ野獣と交渉して来た者の子孫が伝えて来た獣のイメージで、やがては敵として人と対立するものと思うのではないか。それでなければ縫いぐるみの熊のような、親しむべき玩具のように感ずるか、どちらかの観念で彼等に対しているのではなかろうか。つまり、狼は悪、兎は善といった割り切り方である。だから、近世の日本民族の大半が、狼は良い獣とみなして尊敬し、逆に兎は畑作の豆類や青菜を食害する悪獣と考えられたと聞いても、嘘だと思うかもしれない。しかしながら、人間というものは、それほどにも自分の立場から物事を判断しがちな、自ら誇って霊長類などと称する生物の一種なのである。 – 71ページ

 

金沢市・小松市など市街地住民で野生の熊を実見したことがある者は回答者の三%、山麓地帯として選定した鶴来町・辰ノ口町で同じく見た経験者は計一〇%、山間地域になる尾口・吉野谷・白峰各村では、経験者は三〇%と多くなる。このような経験と情報の質・量に差をもつそれぞれの住民にに、「熊は故意に人をねらって襲うか」と質問した。その結果「はい」と答えた比率は、市街地で三三%、山麓地帯で二〇%、山間では一〇%がこれを選んでいる。ほぼ見た経験と逆比例の形となることが明らかによみとれる。 – 92ページ

 

同じく一四世紀の中ごろに出来た『神道集』には、諏訪明神が野獣魚鳥の肉を供物として喜んで受けられるのを、ある僧正が、神でありながら生命を奪うのを好まれると、大いに怪しんでいたところ、夢に明神が告げられて、下賤の身に生を受けたため、成仏できない鳥獣魚貝の類は、神に供物となること、その後さげて人びとがそれを食べ、人間の身体の一部として極楽に往生することで、鳥獣魚貝も浄土に住めるようにしてやる。これが諏訪の神の慈悲なのであると教えられた、という話を縁起として説いている。 – 132ページ