「恋する文化人類学者」単行本 – 2015/1/9 鈴木 裕之 (著) 、世界思想社

ピグミーにほれ込んだコリン・ターンブルが大好きだという文化人類学者スズキは、アフリカのキャンディーズの一人と恋愛を続け、結婚に至った
森の猟人ピグミー』や『豚と精霊』のコリン・ターンブルも、『ピダハン』のダニエル・L・エヴェレットも、相手にほれ込み、相手の生き方のほうが、人間本来の生き方なのではないかと感じて、それを伝える文章を残した人です。日本人でいえば、ブッシュマン(グイ)の暮らしが続く限り、まだ戻る場所があると語っている菅原和孝さんを思い出します。

これらの人々は、ほれ込んだとはいっても相手との結婚に至ったわけではありません。本書の著者、鈴木裕之さんは7年間という交際を経てついに結婚してしまいました。しかも、相手は、鈴木さんの専門分野であるストリート文化と音楽の取材対象となった、当時売れっ子のアイドル歌手なのです。これは面白い話が読めるぞと期待して読み始めました。

読み進めていくと、期待したような内容とは違うことがわかってきます。

まず、舞台が違います。密林や砂漠ではなく、都市が舞台になっています。しかも、当地であるコートジボアールは、押し付けられた国境のために多民族国家になっています。独立後もフランスの植民地時代を引き継ぎコーヒーとカカオの栽培を経済システムの中心としたことから活況であり、このアイドル歌手も移民であるように、周辺国の移民の受け入れて多国籍国家にもなっています。文化人類学の主要な対象である伝統社会が崩れていく中で、新しい意義を求めた研究活動になります。

このような舞台で語られる内容は、恋愛時代の甘い思い出などではなく、相手や場面によって違った名前を使う民族名の背景や、語りや歌、楽器の演奏を職業とするグリオと呼ばれる階級についての説明という、学術的な内容になっています。

結婚についても同様で、既存の学説を引いて結婚とはどのようなものであると解釈されているのかを説明し、通過儀礼、親族関係などに話を広げていくという構成になっています。

このように期待とは異なる内容だったのですが、私がとくにがっかりさせられた点が一つあります。学問である以上避けられないことなのでしょうが、やはり先行する有名な研究者として紹介されている西洋人の文化人類学者たちは、私の視点からすると(スポンサーや経歴を見ると)学ぶことに意味を見いだせない研究者ばかりであるという点です。私は、難解な先行研究の理解に時間を割くことは無意味であり、理解したつもりになってただの理論にすぎない価値観を真実であるかのように思い込んでいくことは無駄かつ危険であると考えています。学問としては成立しなくとも、上記のように相手に入れ込んだ人々の話を読むことや、長年現場で向き合っている人びとの言葉を聞くことに意義を感じます。

芸能を受け継ぐ人々の位置付けや、伝統的な民族の分布と国境線の違い(人は異民族たちと混じり合って住んでなどいなかったし、アフリカに人為的に国境を引いたことはやはり暴挙だった)、現代のアフリカにおける国境を超えた人々の動きなど、面白く読めた部分もありましたが、期待が大きすぎたせいもあり、不満の残る内容でした。