「顔の本―顔はさまざまなことを語ろうとしている」香原 志勢 (著)(講談社 1985年3月)

間取りの工夫が顔を作る

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はだかの起原』で紹介されていた方だったとうろ覚えで手に入れたこの本ですが、調べてみたところ別の方でした。 しかし、生物進化を踏まえ、また人類学者として人種や民族の違いを調べていくなかで得られた知識、考察が語られており、新しい見方を得ることができました。 単行本に加えて文庫本も出ていることから、人気を得た本であったことがわかります。

目・鼻・口などの大きさとそれらの相対的配置(コンフィギュレーション)とは、顔という限られた大きさの構築物内の間どりの問題である。つまり、頭蓋腔、眼窩、鼻腔、上顎洞、咽頭、喉頭などが、それぞれ適当な大きさを主張して、適宜、頭骨内、および周辺の空間を配分しているのである。そのうちどれかの大きさや出っぱり方がかわれば、それは全体に響いてくる。その間においても、左右対称の原理はまもられねばならない。この現象は顔の人種差にふかく関連する。(130ページ)

たとえば、寒冷化する中でアジア大陸にとどまった古モンゴロイドが酷寒気候に耐えるために鼻という突出した器官を小さくする一方で、外気を十分温めるために広い鼻腔を必要とすることから鼻腔が横に拡がった。一方眼球は前に押し出された。こうして、平面的な新モンゴロイドの顔ができあがったといいます。生物は生き方に合わせてきちんと体が変化していくものだと、いつもながら感心させられます。また、顔の形状は、死活問題でもあるということにもなります。

食生活と身体の退化―未開人の食事と近代食・その影響の比較研究』にあるように、人の顎は特に近年著しく退化していますが、本書によると、ネアンデルタール人までは存在しなかった「おとがい」がホモサピエンスででき、縄文人ではきっちり咬み合っていた上下の歯が、農耕を開始してでんぷん質の食べ物が多くなって以降、きちんとかみ合わない人が大多数になってきたなど、顎の退化は長い傾向の延長線上の出来事でもあるようです。

その他、くまどり、入墨、表情の遺伝、ほくろ、眼鏡など、同種類の著作はないとひそかに自負しているとあるように、解剖学・生物学・人類学などの視点から顔について考察した、一風変わった本であるということができそうです。

内容の紹介

さて、古人類は毛抜き状咬合であった。 日本でいえば、主として狩猟採集経済にたよっていた縄文時代人はすべて毛抜き状咬合であるが、稲作を開始した弥生時代に、はさみ状咬合があらわれ、古墳時代になると、四分の一がこれになる。 稲作など、穀類栽培がいきわたり、人びとが穀類を常食とする鎌倉時代には、大部分がはさみ状咬合がしめるようになり、それは今日でも同じである。 – 81ページ

 

原始人類といえども、文化をもつようになり、手をつかって食物を口に運び、また道具を用いるため、口をあまり使用しなくなた。 火であぶれば、固い肉も柔らかくなった。 かくして、顔面内の衝撃はしだいに弱くなり、一方、脳もいつしか大きくなっていった。 ネアンデルタール人の脳は今日の私たちの脳とほぼ同じ大きさであったが、上下顎骨はまだ大きく、頑丈であった。 脳頭蓋は顔面頭蓋の上にだいぶ張り出していたが、主な部分はずっと後方にあった。 眼窩上隆起は大きく張り出し、額は傾斜しているが、かなり広くなってきた。 – 89ページ

 

皮膚の色がうすい場合、しみ、あざ、ほくろ、そばかすが目だつ。 しみは老人になるとしばしばあらわれる。 あざやほくろは生まれながらのものであることが多い。 ほくろはメラニン顆粒が密集した部分であり、遺伝性が強い。 顔の中の同じ位置、もしくは、ちょうど左右対称的な位置に発現することがある。 終生消えないものがあるため、かつては、人相書きや、親子の縁を物語るものとして重視された。 – 92ページ

 

遺伝というが、親と子の顔は、思っているほどには似ていないものである。 だから、演劇や芝居において、まったくの赤の他人である俳優たちが、互いに親子や兄弟の役を演じても、それほど異和感をおぼえないものだといえる。 遺伝要素は数多くのものからなるが、平均して、子の遺伝要素の半分は父親、もう半分は母親からそれぞれ受けついでいるので、親のうちの一人と子の間では、半分の要素しか受けつがれているにすぎず、全体としてみれば、両親のどちらともあまり似ていない顔となるといえよう。 ところが、表情となると、遺伝要素はもっと単純になるため、二回に一回は、親子で全体としての表情が似るということになる。 – 120-121ページ

 

すでに述べたように、咀嚼器の退縮は人間の顔の形成に重要な役割を果たしている。 それがおくれたものは顔面性突顎を示しており、大部分のニグロイドやオーストラロイドはこの特徴をもつ。 日本人やモンゴロイドの咀嚼器は相当に退縮しているが、人によりかなり口もとが出ている。これは歯槽性突顎によるものである。 – 179ページ

逆にいうと、黒人やアボリジニは、まだ固い食べものでも平気で食べることのできる健康体であるといえます。

皮膚を傷つけるものとして、いれずみと瘢痕はんこん文身とがあげられる。 いれずみは、入れ墨、刺青、文身であらわされるように、皮膚を小刀または針で傷つけ、すすやその他の色素をすりこんで、模様・絵・文字などを皮膚に展開する。 これは淡色の皮膚に用いられるが、濃色の皮膚では、色彩が目だたないので、瘢痕文身がおこなわれる。 これは、皮膚を次々に傷つけ、治癒をおくらせ、傷あとをもりあがらせて、一連のケロイドの模様をつくりあげるのである。 これらの模様は部族によってきまっていることが多い。 – 192ページ

巨石を積み上げてみたり、文身をしてみたり、世界中で行われていた同じような行為に、どんな意味があるのかを、探ることが人類史を考える上で重要な気がします。

抜歯習俗は各地でみられ、日本でも縄文時代人骨にこの習俗があった。 成年式のさいなどにおこなわれたらしく、高度狩猟民や初期農耕民にみられる。 歯を削ったり、やすりをかけたりして、これを尖らせたもの、歯に浮き彫り模様をつけたもの、切歯の舌側面中央に孔をあけて、宝石や貴金属をつめこんだものなどがある。 これらは部族社会にみられるものである。
鉄漿かね、すなわちお歯黒は日本では古来からの風習であり、徳川時代では眉剃りと共に女子の元服の徴とされた。 毎朝、歯に鉄漿を塗るのは女子のつとめであった。 その起源にも諸説があるが、お歯黒は抜歯にかわるものとみることもできる。 – 195ページ

 

頭髪や男性のひげはその当人の容貌にいちじるしい効果をもたらし、また、他人の頭髪やひげにみだりに触れることは戒められている。 遺髪などというように人格の一部を構成する。 しかし、見方によれば、毛は容易に身体から分離しない、粘着性の強い固体排泄物だといえる。 腎臓から排泄される窒素化合物とちがい、人体は有害な重金属やある種の有機化合物を排泄する器官をとくにもたないため、毛髪を通じて、これらを排泄しようとする。 したがって、抜け落ちた他人の毛というものは妙にうとましいものである。 手入れのできていない毛髪やひげは汚らしく感じられる。 – 197ページ

 

人間はその顔の一部にいくばくかの汚さを保っている。 顔はいくつかの排泄器をかねている。 目くそ、鼻くそ、歯くそ、耳汁、つば、たん、ふけ、あか、汗というように、好ましからざるものが、たちどころにならぶ。 息をふきかけられると、不快である。 口臭がともなうこともある。 鼻の頭をみれば、ぶつぶつした毛穴が目だつ。 百年の恋が一瞬のうちにさめることはないにしても、これらのものは、のぼせた人間を正気に立ちもどらせるだけの効果はある。 大じわ、小じわ、皮膚のたるみも好まれないことが多い。 にきび、そばかす、ほくろも顔にあらわれる。 – 213ページ