敵艦を狙う魚雷発射管 少年倶楽部付録 飯塚羚児画

2019年4月19日

敵艦を狙う魚雷発射管 少年倶楽部付録 飯塚羚児画
敵艦を狙う魚雷発射管 少年倶楽部付録 飯塚羚児画
宛名面
宛名面

少年倶楽部絵葉書をほぼ毎日ご紹介してきましたが、本日の1枚で今手元にあるものは最後です。もう1枚ありますが、戦後のものになります。

ご紹介した中で軍隊関係は海軍ばかりで陸軍のものは記憶にありません。私は、軍事郵便も扱っていますが、こちらは、主に陸軍が描かれている印象です。

この辺りを調べてみたところ、海軍軍人はなぜ陸軍よりモテた?(太平洋戦争史と心霊世界)というページが見つかりました。海軍は陸軍よりも、人気だったことから、子供向け雑誌の少年倶楽部では海軍がテーマになったのでしょうか。

歌一つとってみても、「抜刀隊」は、「軍艦行進曲」には勝てなかった。敗因は、陸軍報道部員が愚直なほどのやぼてん人間の集まりだったということにつきる。」

 「海軍の将校は、白の制服に金色の参謀肩章、頭は長髪に櫛を入れ、(中略)陸軍将校は、茶褐色の軍服、イガ栗頭、これでは黄色の参謀肩章も映えない。(金モールでなく黄色の編糸、濃緑の編糸のものさえ代用品として使われた)。同じ日本の軍人でどうしてこうもスマートさと野暮くささが対照的なのだろう。」

 

絵葉書に描かれている飛行機やこうした兵器について調べていくと、ほんの短期間のうちに性能が向上していることがわかります。艦載機の場合、水上からしか離陸できなかったものが艦上から離陸できるようになったり、飛行高度が上がって高角砲が届かなくなったりという変化があります。そうした兵器の進化は、国家単位で起きたのではなく、技術者を招聘したり、兵器を購入したりして各国横並びに起きています。

日本の戦争を振り返ってみると、支那事変以降、本来であれば、むやみに戦線を拡大せず、こうした部分に力を注ぐ必要があったところを、おそらくは両陣営に配置されていた武器商人たちの差し金によって戦闘を拡大させられ、その結果余力をなくして負けたように私には思えます。

 

大東亜戦争時の兵器の進歩つながりで原爆に関していうと、『ユダヤは日本に何をしたか』(渡部悌治著、成甲書房)に次のような記載があるそうです。

戦時中、日本で一日も早くその完成が待たれていた、マッチ箱一つの大きさで千間一つを沈めるといわれていた新兵器は、今日言う原子爆弾のことであった。そして仁科芳雄博士の研究では、実験段階では既に完成していた。しかし、その基礎理論が完結を見ないでおり、理研内では研究員達が手分けして研究にあたっていた。それが一応のまとまりをみたとき、これを一つの学説として発表してはどうかという案も出たが、軍の機密に属することでもあり、早計に外部にもらしてはならぬという仁科博士の意見で発表は厳禁されていた。ところがそれを、当時理研にいた研究補助員の湯川秀樹が米国に売り渡したのである。米国は終戦後、湯川の功績の論功行賞としてノーベル賞を授与させている。日本の利益にはならず、米国のためになったことで褒美がもらえたのだ。まさに国賊である。

当時のものに触れて、記事をあさっていくことで、現在とも共通する、歴史の隠された動きが見えてくるように思います。

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