アフリカを知る事典―狩猟採集

2019年3月11日

狩猟採集の暮らしについて、『アフリカを知る事典』によくまとめられているので、まず、これを引用しておきたい。(マーカーは引用者の着目点)。 

狩猟採集とは、日々の食物を野生動物の狩猟活動と野生植物の根茎や果実などの採集活動のみから得ている生業で、人類史のなかで最も古い生活様式である。 農耕(農業)や牧畜のような食料生産手段が発明されたのはたかだか1万年前にすぎず、これらの食料生産革命がおこるまでの数百万年の間、人類は狩猟と採集に依存して生きてきた。 これまでこの地上に生を受けた人間は約1500億人と推定されているが、このうち60%までは狩猟採集生活、35%が農耕社会に生き、産業社会の恩恵を受けたのは残りのわずか5%にすぎないという説もある。 農耕と牧畜は余剰をもたらし、その蓄積を可能にし、幾多の文明の母体となり現在にいたっている。 これらの新しい食料獲得様式を身につけることによって、人類は文明に足を踏み入れ、これらの普及にともない、長い歴史を持つ狩猟採集社会も同化吸収され、消滅していった。 現在、狩猟採集民と呼ばれる人々は、このような文明の手の届かない極地、砂漠、熱帯降雨林の奥に取り残された人々であるといえる。
アフリカ大陸の狩猟採集民のおかれている自然環境は、森林から砂漠、そして標高3000mに及ぶ高地まで多様である。 森林では熱帯降雨林に住むピグミー、サバンナではタンザニアのエヤシ湖周辺に住むハッザやザイール東部のムボテ(バンボテ)、カラハリ砂漠にはサン(ブッシュマン)、そして山地林まで利用するケニア東部のドロボがおり、これらはすべて日本人研究者によって研究されている。
狩猟採集民のおかれている環境条件はたいへん多様であるが、彼らの社会や生活はきわめて類似している。 狩猟採集民の社会は一般に小規模で、2~3週間ごとに移動を繰り返し、移動に際して居住集団の成員は離合集散することが多い。
狩猟具としては、弓矢や槍が一般的であり、おもに植物からとる毒を塗って使用することが多い。 一部では網や罠も利用されている。獲物としては中小型哺乳類が中心で、特にアンテロープが重要であるが、ワニなどの爬虫類や鳥類も狩猟の対象となるほか、象やアフリカスイギュウ、カバなどの大型哺乳類も狩ることがある。
狩猟採集民といえとも毎日肉ばかり食べているのではない。 その生活の基盤となる食物は女性による植物の採集活動に依存しており、男による狩猟によってもたらされる肉は、多く見積もっても重量比にして半分を超えることはない。 また、食物の蓄えも2~3日分しかなく<手から口へ>の生活ではあるが、飢えに脅かされながら細々と生きているわけではなく、他の生業とひけをとらない栄養状態であることが明らかになっている。 そのうえ、農耕や牧畜ができないカラハリ砂漠でも、1日わずか4~5時間を食物の獲得に費やすだけで、あとはおしゃべりや歌とダンスに興じて暮らしていけるという生活様式でもある。
狩猟や採集は、自然の最も大きな脅威の一つである旱魃に対しても、農耕や牧畜よりもはるかに強い抵抗力をもっている。 1960年代にアフリカ南部を記録的な旱魃が襲ったが、周囲の農耕民や牧畜民に餓死者が出るなかで、サンたちは1人の餓死者も出すことはなかった。 政府や国連機関の救援が届かない僻地の農耕民や牧畜民たちは、サンの中に逃げ込み、彼らとともに狩猟や採集を行い旱魃を切り抜けたことも知られている。 狩猟採集社会は、自然に全面的に依存した原始的な生活を営むが、自然の大きな変動に対しても他の生業よりもはるかに強靭な抵抗力のある<豊かな社会>であるといえる
[狩猟採集社会と平等主義] 狩猟採集社会を支えている最も重要なものの一つに平等主義があげられる。 狩猟採集社会では、日常の食生活から社会的地位にいたるまで、平等主義が貫かれている。 ときおりキャンプにもたらされる肉は、狩猟に参加するかしないかにかかわらずキャンプに居合わせた者全員に分配される。 政治、宗教、経済といった面での社会的分業も未分化で、社会的統合のレベルも低く、集団の意志を長期的にわたって左右できるリーダーも存在しない。 肉をもたらす有能なハンターがあたりまえのこととして気前よく肉を分け与えざるをえない環境を作り出し、そのうえ、慢心が芽生えることがないように細心の注意がはらわれている。
とはいっても、狩猟採集民たちは決して理想主義や博愛主義からこのように振る舞っているのではない。 おのおのが自分自身やその家族のことだけを重んじるあまり、結果として平等性が実現されている側面もあり、エガリタリアン・ソサエティ(平等社会)というよりもエゴイスティック・ソサエティ(利己社会)とでも呼んだほうが実情をよく反映している面もある。 この平等主義の淵源についてはまだ不明の点が多いが、彼らは他人からの<妬み>や<そしり>に対して、私たちとは比較にならないほど敏感な心を持っているという点は指摘できる。
数百万年という歴史を持つ狩猟採集社会にも近代化の波が押し寄せており、近年は急速に変貌をとげつつある。 カラハリ砂漠のサンも政府の指導のもとに定住しだし、残るは熱帯降雨林帯のピグミーとハッザのみとなっている。 人類揺籃の生活様式も、いままさに終焉を迎えんとしているのである。

私たちは、狩猟採集社会というと、産業社会における貧困地区のようなマイナスのイメージを持ちがちである。

私自身もピグミーがキャンプ生活で作る家を見たとき、本当にこれが人の住む家なのだろうか?チンパンジーなどの巣と変わらないではないかという印象を受けたものだった。

しかし、狩猟採集社会を知ると、そこには事前の印象とはまったく違う生きかたが存在していた。 私たちにとって最も当たり前の暮らし方をしているのが狩猟採集民であり、狩猟採集以外の生業によって成り立っている社会のほうが不自然であると思えるのである。

厳しい環境の中でも短時間の労働で生きることができ、強制的な権力者はおらず、平等性が高く、しかも長い実績によって持続可能であると証明されている社会。
「狩猟採集に戻るべきだ」という言葉はあまりに荒唐無稽で非現実的に響くかもしれないが、私には、文明を維持できるとする考え方のほうがかえって非現実的に思えるのである。

本稿を手始めとして、狩猟採集社会こそが人間本来の生き方であると私が考えるようになった根拠を随時追加していきたい。

2015.04.17 る