郷土文化 第13巻第3号(大形石棒の用途(下)/江南市曼荼羅寺定式/芭蕉俳句 李陵七里考など)

2019年5月6日

 

郷土文化 第13巻第3号
郷土文化 第13巻第3号

目次

大形石棒の用途について(下)……………………吉田富夫(1)
曼陀羅寺定式について―近世寺法の一例―…………林 薫一(11)
芭蕉俳旬 李陵七里考………………………….安藤直太朗(19)
脚本 長久手以前……………………………..森徳一郎(26)
能郷紀行……………………………………告天子(29)
彙報……………………………………………(33)
名古屋空港見学記…………………………….友松健治(34)
編集後記

昭和33年発行 34ページ

内容について

「大形石棒の用途について(下)」は第13巻第2号の続きです。やはり実用的な道具として解釈したいと主張されています。

「曼陀羅寺定式について」では江南市の曼陀羅寺所蔵の寺法書「曼陀羅寺定式」を材料に近世寺法について考察してあります。

「芭蕉俳旬 李陵七里考」では、芭蕉dbに上げられている2句について「李陵」が「子陵」の誤りであることは動かしがたいとする考察が展開されています。

これを要するに、芭蕉が厳陵七里又は子陵七里というベき所を李陵七里としたことは、胡曽詩註をはじめ和漢朗詠集あたりにおいても子陵よりは、はるかに目に熟している李陵が芭蕉の念頭にきわめて自然に浮んだからであろう。又芭蕉が李陵を埓し来たった心理的契機をなしたのは、彼が中国の詩人李白を慕い、自らを桃青と号した程である。なお日本武尊の東征と李陵の北伐など歴史的連想も交錯して、直接的には「胡曽詩」中のいわゆる李陵台、七里灘が 詩的連想を駈って「李陵七里」の語をなさしめたのではなかろうか